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2. Chapter 1 - Denial
んん、最高。寝るのって本当に最高。あったかいシーツと毛布にくるまってごろごろするより気持ちいいことって他にある? ああ、早く起きる必要なんかなくって、いつまでも好きなだけ寝ていられたらどんなに――
ビー ビー ビー ビー ビー ビー
ルビーは不機嫌にうめいた。やかましいアラームを鳴らすスクロールに手をのばし、乱暴に振り下ろす。なぜパスワードが効かない? 液晶がよく見えるよう身体を起こす。この忌々しい機械はタッチパネルの反応が時々鈍い。
すばやくコードを入力し直すと、突然枕が部屋のどこかから飛んできた。ルビーは頭を引っ込め、間一髪それを避ける。鼓膜が裂けるほど騒がしいアラームはようやく止まってくれた。
「ごめんごめん、お姉ちゃん。もう……もう止まったから。ね?」
ルビーは口を覆いながら大あくびした。
金髪は不機嫌そうにごにょごにょと聞き取れない何かを呟いている。ブレイクの所有するベッドで。現在、彼女はこのファウナスの恋人を抱き枕にしながら寝ているのだ。ルビーは寝ぼけ眼でそれを確認すると小さく微笑んだ。
再びベッドに倒れ込む。出来る限り寝ていたい気持ちと、授業の支度をしなければという焦りがせめぎ合い、少しだけ、と目を閉じた。再びそれが開くことがないかもしれないというリスクを冒して。
しかしそれも束の間、二段ベッドの下段から何やら音が聞こえた。瞬間、おでこに鋭い衝撃が走り、あっという間に夢想から引き戻された。
「痛ぁ~~」
うめきながら目を開けると、ワイスの顔が視界に入った。下段のベッドを踏み台に立ち上がって頭を出しているらしい。その綺麗なアイスブルーの瞳に、ルビーは思わず唾を飲んで狼狽した。
――何やってんのわたし。ああもう、起きたばっかりだってのに!
「起こされましたよ、お馬鹿。ほら、あなたも起きなさい。また遅刻するわけにはいきませんのよ」
「待って待って。あれは遅刻じゃなかったよ。マーリン教授が授業始める前だったし」
「それは彼が私たちを待っていたからです! さあ起きなさい! 行きますわよ!」
唸りながらベッドから転がり落ちてきたルビーに、ワイスはきゃっと叫んだ。ルビーはかろうじてベッドの端に手をかけてぶら下がり、ややあって自分から下に降りた。そのままだらしなく床に仰向けに寝転がる。
「ワイース、バスルーム連れてって~……」
「い、嫌よ。自分で行きなさいポンコツ!」
哀れなブルネットはため息一つ、仰向けのまま脚だけ動かしてにょきにょきバスルームへ移動し始める。
ワイスはナイトガウンのまま棒立ちで、この惨状を不思議に思った。かつて一番の早起きはルビーだった。笛を吹いてせっせとチームメンバーを起こしているような。しかし、それも昔のこと。彼女の熱意は冷めたのか、単に平日に早起きするのが嫌になったのか。早く起こされた時はこのようになってしまう。三年間ほぼこの調子だ。
「いつからぜん動運動するようになったんですの? ああ、元から芋虫の仲間でしたっけ?」
ルビーは答えず、芋虫状態のままバスルームへ向かい続ける。
ワイスは立腹しながらまだ束ねていない髪をさらりと払い、もう一つの二段ベッドに向き直った。まだぐっすり寝ているらしい残りのチームメイト達を見据えて。
「ブレイク、ヤン。起きる時間ですわよ」
返事がない。
近づいてみるとその漂う熱に肌がざわついた。ヤンとその腕に身体を包まれたブレイク。心のどこかでワイスはこのファウナスの少女に嫉妬するのを感じた。彼女には寂しい夜に抱きしめ、温めてくれる存在があるのだ。
「ヤン。ブレイク。起きなさい」
反応なし。
ワイスはため息をついて、最後の手段に出ることにした。強行突破だが起こすには十分。けれどちゃんとお嬢様らしく上品な方法で。ワイスは自分のドレッサーからハサミを取り出すと、瞳を怪しく輝かせた。二人の元へと戻り、注意深く、ゆっくりとヤンの髪を親指と人差し指で少しだけつまみあげる。そしてハサミを近づけ、刃を開く。
ちょきん。
ブレイクのベッドから爆風が飛んできた。間一髪ワイスはそれを避ける。ヤンがベッドから飛び出してきた。どんな挑戦者にも受けてたたんとばかりにファイティングポーズをとっている。金髪は部屋をぐるりと見渡すと、見つけたようだ。ワイスの持つ一丁のハサミを。
「死にたいのかな、シュニーさん?」
眠気は完全に吹き飛んだらしい。
「ふん、ケダモノとの勝負に負けるつもりはなくてよ」
ワイスは鼻であしらう。
「勝負? 私はただ死にたいのって聞いてんの」
ヤンは猟奇的な笑顔で返した。
「ルビー! 悪いけどあんたの彼女殺しちゃうよ!」
「ワイスはわたしの彼女じゃなーい!」
閉ざされたバスルームの扉から、くぐもった叫び声が上がった。
ワイスはかっと赤くなる。何とか頬の紅潮を抑えようとするが、もともと白い肌は赤みをどんどん増して全く効果がない。待て。自分はレズビアンではない。端的に言って違う。万が一そうだとして、両親がどんな顔をするかという懸念ばかりが頭を占める。そもそもワイスはルビーをそういった意味で好きなのではない。自分にはいつもそう言い聞かせていた。少なくとも、このパートナーのそばにいて、鼓動が早まってしまうときは。
ワイスは、ベッドの上で今にも笑い死にそうにもがいているヤンにハサミを放り投げた。ベッドの主であるファウナスはというと、ブランケットを頭まで被って丸くなったまま、金色の目を光らせて様子を伺っている。
「はー、何て判りやすいのお姫様!」
ワイスは小声で選りすぐりの侮辱を呟きながら金髪の横をつかつか通り過ぎる。羞恥のあまり、今バスルームが占領されていることをすっかり忘れて。
ドアを荒々しく一気に開け放った。
そこには驚いた顔のルビー、がパンツ一丁で豊かな胸を隠そうとしている姿。
「や、やあワイス……」
バタン。
勢いよく扉を閉めると、令嬢は足早に自分のベッドへ突っ伏し、頭を枕で抑え込んだ。顔がトマトより真っ赤だ。
ヤンは泣きながら大爆笑した。
*
「あっさごはん、あっさごはん! 朝ごはんの時間だよみんな~!」
ルビーは歌いながらビーコンの廊下を先頭に立って歩き、残りのチームメイト達はそれにならって食堂へ向かっていた。たくさんの飢えた学生たちの波に飲まれながら、その日一番の食事にありつくために。ヤンとブレイクは手をつなぎ、ワイスはルビーの少し後ろを歩いている。
「あー、パンケーキが食べたいな。あとソーセージパテと卵と、あっ今日はリンゴもあるといいな!」
「ああ、これはフラグかな。気を付けてルビー。今日は梨かもよ?」
ヤンは笑った。
「うげ……気持ち悪いじょりじょり食感のやつ」
ルビーは大げさに舌を出す。
「あれは厚壁細胞といいます」ワイスが割り込んだ。
「野生動物に種を食べられないように保護する役割があるのです。健康にいいんですのよ。クッキーよりもずっと」
「うん、でもさクッキーは梨と違って砂の食感しないし」
「食習慣を改善なさい。言うこと聞かないと入れ歯になる日が来ますよ」
「ワイスの言う通りよ、ルビー」とブレイク。
「あなたが何で虫歯にならないのかいつも不思議だわ」
「えっ、ちょっとワイスの味方するの!?」
騒いでいるとルビーは危うく牛のファウナスの生徒に衝突しそうになった。
「ごめんね!」
「私が信じるのは私だけだから」
ブレイクは答える。ヤンは傷心の表情を浮かべたが、きらきらした瞳のブレイクにぎゅっと手を握られたおかげで即座に持ち直した。
「ルビーVS世界! ラウンドワンッ」
ブルネットは泣いた。しばらくの沈黙のあと、ワイスの方に向き直る。
「それでワイス、何で今日はそんなに怒ってんの? 今日が何の日か覚えてる?」
「え? 待って、言わないで」
白髪の彼女は考えて
「今日は……金曜日」
皮肉たっぷりに答えた。
「もーばか。今日は新しい部屋にお引越しする日でしょ? わたしとワイスだけの!」
「わ、判ってますわ」
どういう訳か。ルビーと部屋をシェアすることと、ルビーその人に対してワイスは妙に頭を悩ませてしまう。変だ。三年間ずっと一緒に暮らしてきたパートナーだというのに。
また顔に熱が帯びるのを感じる。すぐに紅潮がばれてしまう自分の白い肌を嘆くのはいつものことだが。ワイスは顔を隠すために、皆より前に歩き進めた。
「ほらぐずぐずしてないで。早く行かないと食堂が閉まりますわよ」
ルビーは少し後退して、彼女の後ろ姿を観察した。白髪の彼女はモデルのように腰をゆらし、優雅に腕を振りながら気取って歩いている。ポニーテールがその動きにあわせて弾み、タイル張りの床にハイヒールの音がかつかつと小気味よい音を響かせる。
うわぁ――すっごい綺麗……。
「どこが好きなの?」
ヤンが耳打ちする。
ルビーは飛び上がり、激しく赤面した。まっすぐ前を見据えながら慌てて言い訳する。
「な、何の話? はは! 私はただこの廊下の壁は素晴らしいなあって思っただけで……」
「うそつき」
にやにやとヤン。
「ワイス見てたでしょ」
「からかわないで、お姉ちゃん」
食堂に入ると、チームJNPRが手を振っているのが見えた。空席を示しているらしい。
「本当に何でもないんだから」
ヤンはおとなしく従ったが、ブレイクと共ににやにや笑いあった。正直言って、ルビーとワイスの関係に気づいていないのは、紛れもなくルビーとワイスだけである。
*
ドスンとトレイをテーブルに置いた弾みで、転がり落ちそうになったリンゴをぎりぎりキャッチしてから、ルビーは一同に元気いっぱいあいさつした。
「おはよう、みんな!」
食堂のがやがやした音は耳に心地よくて、たくさんの仲間たちがビーコンに居ることを思い出させてくれる。しかし、光と闇は表裏一体。彼らは素晴らしくも凄惨な戦いに備えているようにも見えた。
「やっほールビー! 今日はどうしたの?」
チームRWBYがそれぞれのトレイを置くと、ノーラが言った。
「いつも通りだよ。そっちは?」
「ノーラが普段より静かでした。ついさっきまでは」
レンが淡々と呟く。
「ちょっとやめてよー。レンはあたしが黙ってると寂しいんでしょ? 知ってるんだから」
絡みついてくるノーラを尻目に、レンはテイタートッツをフォークでつつき続けている。毎日、気苦労が多そうである。しかし、それでも彼は静かに微笑んでいた。
「ジョーンとわたしは毎朝バッチリよ。早起きして、邪魔にならないところでトレーニングしてるの。」
ピュラが言うと、ジョーンはソーセージエッグで口をいっぱいにして頷いた。
「うん、あたしたち以外はみんな早起きみたいだね。でもまあ、あたしは美容のために睡眠が必要なんで。みんなはどうか知らないけど」
とヤンは大きく笑った。
「そうかもしれないけど」ブレイクが割り込む。
「途中でいびきをかきだすのは美しくないと思うわ」
「ちょっと!」
「……その通りでしょ? ね? 何かうまい返答があるならどうぞ?」
ブレイクは尋ねる。
「えっと……ちょっと時間をくれたら」
ヤンは不服そうな顔。
「あらあら? 自称ダジャレクイーンのヤン・シャオロン。いつも意地悪な冗談ばかり言うあなたが、今日はモノも言えないの? ああ、衰えたものね――」
ヤンはファウナスの制服の襟を掴み、引き寄せてキスをした。ややあってブレイクは解放されると、呼吸を荒げて困惑の表情を浮かべた。
ヤンはにやっと笑う。
「誰が口も利けないって?」
「ヤン、こんな人前で……」
「あんたを黙らせないといけなかったから」
ファウナスを宥めようと、ヤンは輝く笑顔を向ける。
「何ですって? あとでこの責任は取ってもらうからね」
ブレイクは返す。
「おお怖い」
「さもないともっと酷いことが起こるわよ」
「ふふ、それはどうかな。おっ、みんな見なよ! ビーコンのおもしろカップルがいるよ」
全員の目が一斉にルビーとワイスへ向かう。突然の視線に二人は慌てふためいてお互いから離れた。
「彼女は違――」
「私たちは違――」
「わお、落ち着きなよ二人とも。あたしはあんた達の後ろの人に言ったつもりなんだけど。はあ、本当に分かりやすいね君ら」
ヤンは笑った。
「そ、そっか」
ルビーは苦笑する。後ろを向くと、ペニーがヴェルヴェット・スカーラティナにテイタートッツをあーんさせている姿。
「何であの子達が一緒になったのか分かんない」
とジョーン。
「ねー、全然分かんないけど、可愛いよね」
ノーラは二人を見て笑った。
見ている者は誰もいなかったが、ルビーとワイスはお互いの顔を一瞥して、ぷいっと目を離した。
見ている者は誰もいなかった。ヤンを除いて。金髪はほくそ笑むと自分の食べ物に目を戻す。この話題をルビーに吹っかけるか否か悩んだ。ここは自分から言ってくるのを待つかべきか。正直、妹が自分に助けを求めてくるかは怪しいところ。そもそもヤンは関係を認めていないから。
――何にも知らないルビー。
ヤンはあの怒りっぽいお嬢様のことをまだ完全に受け入れた訳ではない。もちろん彼女はルビーのパートナーであり、相応の実力も持っていることは認めている。そして少なくとも、ルビーは彼女と一緒にいて幸せそうだということも。だから今のところ、このバカップルの関係を大目に見ている。しかしまだ、譲れない気持ちがあることも事実。ルビーは私が育てたんだ。妹はあたしのもの。もし、奪おうとするのなら戦いは避けられない。
受けて立つよ、ワイス・シュニー。
*
ルビーは満足げに新しいベッドへ飛び込んだ。今日の授業はすべて終わり。ルビーとワイスは自分たちの新居への移動が完了した。初めの一、ニ年の間は四人で部屋をシェアしなければならないが、三、四年生になると、パートナーと使う小さめの二人部屋を与えられる。三年生のほとんどがすでに部屋を移動していたのだが、建設の遅れがあり、チームRWBYは今日やっと部屋を与えられたところだった。
二人でシェアするこの部屋は小さいが、狭苦しいとはこれっぽっちも思わなかった。それぞれのベッドは対に壁際に据えられ、大きく広い窓を挟んでいる。ベッドの足側には各自のクローゼット。二人分の服を収納できるよう要求したものだ。
どうもこの部屋の壁だけがどこか風変わりに思えた。なぜか嵐のような、薄い灰色で塗られている。
「ねえワイス。何かこの壁……ちょっと暗いと思わない?」
「いいえ、むしろ私は好きですけど」
ワイスは自分のベッドシーツを整え終わると答えた。
「好き? 何で?」
「……単純に好きな色だから。深い意味はないですわ」
ルビーの瞳と同じだから、とは言えなかった。実はこの理由から、壁を他の色で塗り直す事も拒んでいた。
「ところでいつまでもごろごろしてないで、荷物開けなくていいんですの?」
「ふふん、実はもう終わったのですよ。お姫様」
「そう呼ばないでと言ったでしょう」
「わたしはわたしの好きなように呼ぶもん」
ルビーはいたずらっぽく答えた。
「まあ好きにして頂戴。ただし、あなたの大事なクッキーの箱が突然消えても驚かないでね」
ベッドの端に座って、ワイスは言ってのける。
ルビーは怯えた顔で跳ね起きた。
「やめてよね!」
令嬢の不敵な笑み。
「どうかしら」
ルビーは再びベッドに大の字になった。
「わたしの負けです……」
「よろしい。さて、トレーニングの準備はできたのかしら?」
――おっと、ちょっと待って。完璧な週末にするつもりなのに! ここでめちゃくちゃにする訳にいかない!
ブルネットはサッと薔薇の花弁とともに消えたかと思うと、すぐ隣に現れてワイスは驚き跳ねた。加えて唇に温かい指の感触。
「いや、いや、いやいやだめだめだめ違う違う違うでしょワイスさん。ワイス、様。今週末は戦闘訓練は無しだって! わたしとお出かけするって約束したでしょ? もう二か月間ずっと行けてなかったんだから!」
「そうね、でもトレーニングも大事――」
「あーあーあー! ”でも”じゃない! 今夜はデートに行くの。行くったら行くの」
ルビーは腕組みして頑固に言い放った。
――い、今なんて? デートに?
ワイスは狼狽した。
――そんな、何て非常識な。こんなことあってはいけない。いやいや、これは単に”友達二人で週末に遊びに行く”というだけの意味なんでしょうけど……。
二人で遊び行くことは初めてではない。以前も何度かビーコンの外に出かけることはあった。しかし、デートなどという言葉を、ルビーが、知ってか知らでか、使ってきたのはこれが初めてだった。
「ええと……特に反対する理由はありませんけど……その代わり、土曜日はめいっぱい勉強に励むんですよ」
「勉強は日曜日ね」
「土曜日!」
「にーちーよーう!」
ルビーはにこにこ対抗する。
「土曜日はリラックスする予定なの。別にワイスさんは勉強に励んでても構わないけど。わたし、ちゃんと約束するよ」
ルビーは跪き、ワイスの手を握り、子犬のような瞳で哀願した。
「日曜日はい――っぱい勉強するから。ね?」
ワイスは子犬を見下ろした。怒りで眉をひきつらせながら。耐えに耐えた。しかしルビーのまっすぐな視線にやられ、ついにノーとは言えなかった。
「……判ったわ」
「いえーい!」
ルビーは飛び上がり、ワイスをベッドに押し倒して力いっぱい抱きしめた。
「思いっきり楽しもうね! ヴェイルの街で――」
「ば、馬鹿! どきなさい!」
ワイスはかな切声を上げた。
まただ。また胸がはやり、顔が熱くなる。ルビーに気づかれないことを必死に祈った。何も考えられないほどに頭が真っ白だ。
ルビーはもう少しだけ抱きしめてから、気まずくなる前にワイスを解放した。
「へへ、ごめん。でも本当に嬉しくてわくわくしてるの」
「……そう」
――いいのか?
ワイスは自問する。
――本当にいいのか? うまい返答も、小言すらも言い返せなくてもどかしい。ああ、らしくない。でも何か言うにはもう遅い……。
ルビーは自分のベッドに戻ると、壁を背にして寄りかかる。
「この部屋、本当にいいよね? あっ、でもデコレーションしなきゃ。わたしはあれがいいな、こう、一面に薔薇を――」
「あら、それはそれはとっても素敵」
ワイスは意地悪に遮った。
「茶化さないで、お姫様」
ルビーはコミカルに手をわきわきさせる。
「どうせワイスだって、そこらじゅう寒々しい雪の結晶でいっぱいにする気でしょ」
「私はただ、天井を濃紺に塗るのはどうかと提案したいんです。そして星を描いて、宇宙のようにするの。そうしたら寝る時、見上げると夜空が広がっているように見えるでしょう」
「わあ、それすごくいいね。やろやろ! 日曜に!」
「勉強する気が全くないということでよろしい?」
「あー、へへ。分かったよ。じゃあ来週にしよ」
ルビーはへらへら降参した。
ワイスは立ち上がる。
「OK。それじゃあ、そろそろ着替えましょうか。せっかく街に行くのだから」
「あっうん! 何着るの?」
「それは見てのお楽しみ」
ワイスはバスルームの扉にもたれ掛りながら、ニッと笑った。
「着替え終わったら御覧なさい。さあ、あなたも急いで。四時の飛行船に乗りたいから」
「あー、へいへいワイス様」
「ごめんなさいね。でも街に一時間以上いるつもりなら急がないと。ところで、今夜はどこへ行くつもりなの?」
「えっとね、まずは武器屋に行きたいんだ。あと部屋を飾るためのデコレーションも見たいし、あっ服屋も行きたいな。それから映画見て、あっあのピザ屋も絶対行きたい!あそこのすっごく――」
「ルビー。もっとまとめて」
ワイスは苦笑する。
「あっ、えへへ。えーとそれじゃ……ワイスはこの中のどれがいい?」
「ピザはいい案ですわね。あと映画も時間があれば。武器屋も寄って構いませんよ」
「いえい!」
ルビーは飛び上がってまたワイスに抱きつく。しかしこの時足元がぐらつき、勢い余って二人ともばったり床に倒れてしまった。上になった長身の少女の胸が、真下のワイスを窒息させにかかる。
ワイスはくぐもった悲痛な叫び上げて、ルビーを降ろそうともがく。
「うわあああごめんワイスごめんんん」
ブルネットはワイスから離れるとキャンキャン謝った。
「この馬鹿! 愚図! ドジ! おっちょこちょい!」
白髪の少女はやおら立ち上がるとバスルームに駆け出し、扉を全力で閉める。
――おっと。
ルビーはくらくらしてもう一度ベッドにもたれ掛かった。
一方、バスルーム。ワイスは鏡の中を見つめていた。胸がはやり、またしても紅潮してしまった顔を呪った。そっと手をやると、頬が熱を発しているのを感じる。
――なぜ彼女は私にこんなことをする?
*
「ねえワイス?」
答えずに、ワイスは飛行船の窓から外をながめ続けた。こんこんと流れる白い雲。澄み切った青い空。調和のとれた爽やかな景色がヴェイルの街への進路を映し続ける。
「まだ怒ってるの?」
「……怒ってなどいません」
ようやく彼女は口を開いた。
「本当? 何か……怒ってるように見えるんだけど。さっき押し倒してから。あとまだ理由も聞いてないし」
「……何でもないわ。疲れただけです。疲れていると機嫌が悪くなるの、知ってるでしょう」
「えと……街まで行っても大丈夫?」
何度目か。胸がちくりと痛んだ。ルビーは外出を楽しみにしていたのいうのに。自分は怒鳴りつけ、無視を決め込んでしまった。しかも今、疲れたという言葉を聞いただけで、この子は予定をキャンセルしかけている。私の要望を優先しようと。もちろん、ルビーが本当に今夜のことを楽しみにしていたということは判っている。判っているから、応えなければ。パートナーと共に楽しい夜を過ごさなくては。
ワイスは彼女に向き直り微笑んだ。ルビーの顔が明明と輝く。
「ええ、もちろん。楽しみにしていたんでしょう? 私も同じですわ」
「ありがとワイス。楽しもうね」
*
太陽が落ち、ヴェイルの街に影がかかる。空は燃えるような橙とすみれ色に染まり、石畳がやわらかな街灯に照らされる。人々は楽しそうな笑みを浮かべ、道を行き交っている。寄り添いあう恋人たち。ランドマークを指さす観光客。どこか急いでいる家族と、キャッキャとはしゃぎながら通りを走る子供たち。
ルビーとワイスはゆっくり歩道を歩いていた。街のにぎやかな空気を楽しみながら。夜が徐々に降りてくる。ワイスは青いリボンを腰にあしらった膝丈の白いサンドレスを着ている。足元は白いハイヒール。耳には美しいダイヤのイヤリング。
ルビーはもう少しカジュアルに。黒いTシャツの上に赤いプルパーカー、黒のジーンズ、グレーのスニーカーでまとめていた。
「あんなに美味しいピザ食べたの久しぶり!」
「そうね。あの店のシェフは確かに一流ですわ。どの食材もとても高品質なものを使ってる」
「ワイスが言うとピザがつまんなくなるよね」
ルビーはくすくす笑う。
「大体、ワイスの言う本格ピザっておかしいよ。ホワイトソースにオリーブ? それ誰が食べるの?」
「ありふれた具材しか乗ってないピザなんて一体誰が食べるんですの?」
ワイスは返した。
ルビーは得意げに、すでに用意していた返しを言い放つ。
「身長五フィート越えの人は食べるもん」
ワイスは驚きと憤りで言葉に詰まった。ルビーのとっておきの切り札に対して、返事がすぐに出てこない。代わりにワイスは鼻を鳴らしてまっすぐ歩き続けた。
「ちょっとーワイス。怒らないでよ。ただのジョークじゃん……」
「ああもう、私にその手のジョークは言わない方がいいと知ってるでしょう!」
ワイスは振り返り、パートナーを睨みつける。しかし文句を言うよりも早く、身体が宙を浮いていることに気づいた。ルビーに抱き上げられ、道の真ん中でくるくる回されているのだ。
ルビーの腕を必死につかみながらワイスは悲鳴をあげた。
「ル、ルビー! 降ろしなさい! 今すぐ!」
ルビーはもう一回転させると、彼女を優しく歩道に降ろす。
「でもさ、ワイスは本当に可愛いよ。あと小っちゃくなんかないよ。心配しないで! ワイスは小っちゃいっていうより、こう……”一口サイズ”って感じ?」
可愛い!?
何でこの子はすぐそういうことを言う?
何も言い返すことができない。時折、悔しいがルビーの前で無言になってしまう。
ワイスはむっとして踵を返すと、飛行船の駅へと急いだ。ルビーは慌てて追いかける。
「待って、一口サイズっていうのはね、えーとつまりワイスが楽しい人っていう意味で。何もワイスが小さい飴ちゃんっぽいとかそういう意味じゃなくて。その、要するにわたしが言いたいのは、ワイスは本当に最高で、本当にかっこよくて、ねえ置いてかないで。わたし達まだ武器屋行ってないでしょ。さっき約束し――」
ルビーのスピーチは止まった。突然足を止めたワイスの背にぶつかったせいで。道のど真ん中で突っ立つ二人の両脇を、人々は絶え間なく歩き続ける。
「何でいつもそう馬鹿なことばかりするの?」
ワイスは振り返らずに言う。
いつもの侮辱ではなく、純粋な疑問を投げかけているようだった。
ルビーは数歩下がり、もじもじと手を揉み合わせる。
「判んない……たぶん、ただちょっと、ワイスと居ると緊張するからかな?」
「……緊張? 何で緊張する必要が?」
「えっと…それはワイスが…その……格好いいから?」
ルビーは言った。嘘だけど。
「あと、これでも普通にしなきゃって思ってるの。じゃないとワイスは一緒に出掛けてくれなくなるし」
ルビーは続けた。これも嘘だけど。
ワイスは暫時考えて、口を開く。
「私は格好よくなんかない。ルビー。それに私はあなたが私の周りでどう振舞おうなんて、実際そこまで気にしてない。二年経った今でも、あなたは私を一人の人間として扱ってくれているでしょう。私をシュニー家の跡継ぎとしてではなく」
――ふう、判ってくれた。
「だから、私もあなたを緊張させないように努めますわ」
ワイスはやわらかな微笑で言い終えた。街灯があたたかく照らし、その相好にさらに輝きを与える。
ルビーは微笑み返さずにいられなかった。彼女の笑顔が大好きだから。いつもとは違う、珍しい表情。彼女が冷笑するか睨んでいる時は、決まって眉が斜めになる。特別怒っている訳ではない時でさえ。
しかしこんな風に笑う時、眉は平らになり、厳しさは消えて瞳がきらきら光る。そしてルビーは思う。笑顔が彼女をより美しくすると。
そのとき気づいた。彼女のそばにいると熱を感じる理由。彼女から離れられない理由。数日以上離れただけで傷心する理由。時折、緊張してしまう理由。
横っ面を張られたようだった。疑いようもなく。今はっきりと理解した。
――わたしはワイス・シュニーが好きなんだ。
誰にも打ち明けていない。有り体に言えば、一年以上前からこの白髪の少女に想いを秘めている。
耐えることはできた。彼女は他の誰にも興味を示していないようだったから、ほとんど毎日そばに居られたし、湧き上がる感情も無視して満足してきた。
端から結ばれることなどあり得ないとも思っている。ワイスはレズビアンではない。それに、もし仮にそうだったとしても彼女はルビーを選ばないだろう。まず彼女の家族が決して許さない。加えて自分は元より不器用で、馬鹿で、未熟で、彼女とは釣り合うはずがない。
痛かった。けれど耐えた。いつもいつも、そうしてきた。
どれだけこの気持ちを無視してきただろう。知る由もない。でも今は、気づいてしまった今この瞬間は違う。
恋。これは恋なんだ。こんなにも痛いものだったなんて。今すぐにでも彼女を引き寄せて、キスをして、抱きしめたい。彼女の顔の傷に手を触れて、伝えたい。自分の気持ちを。世界中の誰よりも愛をささやきたいと思っていることを。
しかし判っている。実現することはない。
感情を押し殺し、代わりに選んだのはシンプルなハグ。
「ありがとうワイス」
ルビーは白髪の少女を抱き寄せる。少し間を置いて、彼女は一瞬だけハグを返してくれた。長身の少女の腰に軽く手を回すだけの。
何かが違うとルビーは思った。
ハグは心地良い。これはちっとも痛くない。
ゆっくり手を緩めると、解放された彼女はぷいと横を向いてしまった。性急な行動だったろうか。赤面を隠しているようにも見えるけれど。
「それじゃ……武器屋行こっか?」
「ええ」
ワイスはあたたかく微笑した。
「大丈夫ですの? ぼうっとしてましたけど」
「大丈夫だよ。全然」
ルビーは嘘をついた。
*
規則的な飛行船のエンジン音が、ワイスの心を妙に落ち着かせた。船は着実にヴェイルに向かっている。夜は完全に更け、船室の薄暗いブルーの光が独特の空気を醸し出す。
ため息をついて、ふと外の景色を見るとレムナントの砕けた月が視界に入った。月の重力が小さな欠片を右下へと留めている。まるで虚空へと漂い離れていくのを拒むかのように。
やわらかな呼吸の音に、ワイスは意識を引き戻された。隣を見ると、熟睡しているルビーの姿。緑色の座席。かたわらにはクレセントローズのための新しい銃弾や手入れ道具でいっぱいになっているビニール袋。
最愛の武器を磨く布っきれに大喜びしていたルビーを思い出した。この年若いリーダーを見つめていると、無意識に熱を帯びた感情と苦しさが胸に湧きあがる。
この気持ちは何なのだろう。これが恋というもの? 説明しようにも言葉に出来ない。どうして彼女に対して? どうしてこんな風に? 私はレズビアンではない。ではない……はず。
心の中が戦場のようだった。激しい攻防戦が繰り広げられている。ルビーは最高のパートナーだ。けれど自分はルビーにとってのそれには成り得ない。冷酷で辛辣。パートナーとして値しない。
自分はルビーとは違う。内側も外側も美しい彼女とは。己の器量だけが良いことは認めるが、心の内は氷のように冷たくて酷く陰惨。
周囲が自分に何を期待しているか知っている。自分の運命がどうなるか判っている。シュニー家の系譜を途絶えぬための投資以外の何ものでもないと。ルビーに自分はふさわしくない。
そもそも私は同性愛者ではない。
非情にもそれが間違いではないことを思い出した。
十三歳の時、ワイスは家の舞踏会の最中に黒いドレスを着た幼い女の子を見つけた。母親に言う。あの子がとても可愛らしいということを。そして熟考した上で、ワイスは母親に尋ねた。あの子をダンスに誘ってもいいかと。
すると母親は恐ろしい形相に変貌した。膝をついて、誰にも見られないよう。娘の頬を引っ叩く。
涙がこぼれた。
――ワイス・シュニー。あなたはレズビアンではありません。
母親は険しい表情で言い放つ。
――シュニーが同性愛者であることはあり得ない。あってはならない。言いなさい。私はレズビアンではありませんと。
「私はレズビアンではありません」
幼いワイスは繰り返した。
袖で涙を拭いながら。
「私はレズビアンではありません」
ワイスは呟いた。
空っぽの船室に立ちながら。
*
「ルビー、あなたいつまでシャワー浴びてるつもりなんですの? もう終わります? 私も早く着替えたいんですけど」
くぐもった声がバスルームの中から答えた。
「えっと、それじゃ部屋の中で着替えてて。そんで終わったら言ってよ!」
ルビーはうっかりあられもない姿で出くわす場面を想像してしまった。急いで目を瞑って妄想をぶんぶん振り払う。
「私だってみだりがましい真似はしたくありません。いいから早く終わらせなさい」
赤褐色の髪をタオルで拭きながら、ルビーはようやくバスルームから出てきた。
「全くもう、終わったよ。さあどうぞ。ご自由にお風呂デコっちゃって。氷でも何でも」
ルビーは冗談ぽく笑った。
「ふふ、笑えますわ」
ワイスはタオルと替えの服を持ち、バスルームへ入った。まだ口元がゆるんでいる。
バスルームの壁は暖かい赤色のタイル。ほとんど橙と言うべきか。床は褐色で、素足にひんやりと冷たい。
扉を閉め、シャワーを出してみる。ありがたいことにまだパイプに湯が残っていた。服を脱いでシャワーの下に入り、温かい湯にほっと息をつく。
束の間、ワイスは夢想した。自分はワイス・シュニーではない。シュニー家の跡継ぎでもない。このシャワーの下では、違う。私は私だ。ごく普通の女の子。自分の選択を自由にできて、何でも思い通りにできる。ルビーのような女の子。
ああ、どうして彼女のことが頭から離れない!?
必死に髪を洗った。パートナーの顔を頭から振り払うように。彼女はすぐ隣の部屋。私は今ここで生まれたままの姿。考えると顔が赤くなり、同時に嫌悪した。
――どういうこと? こんなことは今までにはなかった。なかったはずなのに。なぜ?
すばやく身体を洗い終えると、さっさと歯を磨いてベッドに入ろうと決心した。眠ってしまえばルビーは入ってこない。これ以上。夢を見ることはない。昨晩を除いて……。
歯磨き粉を吐き出して口をゆすぐ。歯ブラシを洗い元の場所に戻して手を洗う。
「ねえワイス?」
隣の部屋から声が聞こえた。
どうして今――。
「……何? ルビー」
「今日は本当に楽しかったよ。デートしてくれてありがとう」
「……どういたしまして」
デートしてくれてありがとう。
心の中で噛みしめた。本当にそのままの意味であの子は言っているのか? あれはデートなんかじゃない。ただ単純に、一緒に街へ行っただけだ。
ワイスは鏡の中の自分を見据えた。眉間に皺を寄せた眉。肩にかかった雪のような髪。醜い顔の傷。余すところなく全て。
デートしてくれてありがとう。
他のことを考えようとしても無理だった。ルビーの言葉が胸を打つ。熱と幸せと苦しさが混ざり、心がざ騒ぐ。喉が締め付られる。
「私はレズビアンではありません」
ワイスは呟いた。
「私はレズビアンではありません」
変化はない。ゆっくりと右手を上げる。
「私はレズビアンではありません」
もう一度呟く。こみ上げる気持ちを鎮めるために、繰り返す。
効き目はない。
恐る恐る手を開く。そして自分の顔を思い切り打った。
強く。
「私はレズビアンではありません」
強く。
「私はレズビアンではありません」
何度も。
「私はレズビアンではありません」
小声で繰り返す。雫が眼のふちから零れ落ちる。どうして効かないのだろう?
もう一度。
「私は、レズビアンでは、ありません」
力強く言い放つ。苛立ちと絶望で身が震える。もう一度打つべく、顔の横で手を止めた。
瞬間。
「ワイス?」
ノックの音。
「ワイス大丈夫? 何か音が聞こえるけど……どうかした?」
鼻をすすり、掌で涙をぬぐった。
「大丈夫。ちょっと……歯ブラシを落として。よろめいただけで……でも大丈夫だから」
彼女に嘘をつくのはどうしてこんなに痛いのだろう。
「わ……判った。じゃ……何か必要だったら言ってね。ここにいるから」
――ここにいるから。
あなたのせいだ。ルビー・ローズ! どうしてそんなに完璧で、優しくて、あたたかくて、こんなにも……私のために良くしてくれる? 私には自分以外何もいらない。必要ない。あなたのことも必要ないと思ってきた。……でも今は、なぜこんなにもあなたを欲している?
ワイスがまだバスルームから出てこないことをルビーは不安に思っているようだった。紅潮を隠すために頬を払う。今度こそ涙を拭ききるとバスルームから出てベッドに直行した。すばやく布団に入り、肩の上まで布団をかける。顔を壁側に、背中をルビーに向けて横になった。
「本当に大丈夫?」
「ええ、ルビー。もう寝ましょう。明日はあなたのリラックスデーなんでしょう?」
「へへ、そうだね。ワイスは明日何するの?」
「……トレーニングを。あと勉強も」
「ん……わたしも暇になったら混ざるかも。いい?」
よくない。あなたのそばに居る限り気持ちが休まらない。距離がいる。もっと距離を作らなければ。あなたのためでもあり、私のためでもある。あなたは私を求めていない。求めるべきではない。
「正直言うと、明日は一人にしてくれると嬉しいわ。その方が集中できるし」
口の中が、灰を撒かれたように焼けつく。ルビーの寂しげな声がさらに追い打ちをかける。
「そ、そう。判った。じゃあ……楽しんでね。おやすみ、ワイス」
ルビーが布団に入る音が聞こえた。
「おやすみ、ルビー」
もっと言いたいことがあった。今日は本当に、本当に楽しかったことを伝えたかった。そしてこれからも一緒に過ごしたいということを。ルビーがしてくれる全てのことに感謝しているということを。
しかし言葉は喉元で詰まる。代わりに涙が一筋流れ落ちた。
なぜ私は馬鹿な社長息子どもを好きになれない? なぜ彼女でなければ、ルビーでなければいけない?
吹きさらしのような母親の声がこだまする。
――あなたはレズビアンではありません。
なぜ私は普通ではない?
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【あとがき】
英語のジョークは日本語に直すのが難しい……。原文のルビーの台詞は「fun-sized(一口サイズのお菓子)」と「fun(楽しい)」をかけています。